Ambivalence

約10年ぶりにブログを開設。日常や小話ができたらいいなと思っています。

ブログタイトルの由来

こんばんは。

用事を済ませて遅めの昼食を取ってからの帰宅です。

ジョ〇フルはいいぞ。

 

実は転職のはざま期間(前職で有給で転職先の初出勤がまだ)なので、クソ暇です。

なのでまた更新します。

転職トークの話はまた別の記事にするとして、、、

 

今日はタイトルにもあったAmbivalence(アンビバレンス)の由来になった記事の話をしようと思います。結構長くなりました。すみません。

 

 

withnews.jp

 

上記の記事について色々思ったことを述べれたらなって思います。

この記事自体はゲイ男性と取材陣の1対1の対話をト書き含めて書いている記事です。Aさんと記述されているので、私も同様にAさんと書くことにします。そして最初に読んだとき思ったことも語ることができたらと思います。

そして以下からは私のコメントには色文字をつけていきますね。

 

>「理解とか差別解消とか、あきらめている部分が強いんですよね」

>Aさんは、ゆっくり考えながら、口を開きます。
>物静かなたたずまいで、視線を落としながら、淡々と。

>「なんでしょうね。小学生、中学生の頃からの偏見や攻撃の積み重ねです。『ホモ』『オカマ』みたいな。子どもって残酷じゃないですか。そういう体験を原動力にして世の中を変えようとする人は、NPO活動とかになるんでしょうけど、もう、疲れているから」

 

小中の頃にそういうこと言ってくる人って多いですよね。私もそのタイプです。

スポーツが破滅的にできないのを見兼ねた親がピアノを始めさせたんですが、ピアノをやってる男子って周りにはおらず、女子がピアノを習うものという固定概念が私の周りにありました。その世界でのジェンダーとでも言うんでしょうか。「男なのにピアノ習ってるとかオカマかよ~!!」残酷ですね。

私も最初こそムキになっていましたが、やたら精神の成長が早かったのか小学の高学年頃にはいちいち対応するのも疲れて、好きに言ってくれ。って感じでした。

 

 

>「取材を受けるにあたって、周り(のゲイの人たち)にも聞いてみたんですけど、『普通の人間として扱ってほしい』とも『結婚できない不都合を解消したい』とも、思っていないんですよね。ありていに言うと、『放っておいてほしい』でした」

>私は今まで、何度かセクシュアルマイノリティの取材をしたことがあります。ゲイ男性に会う度に「メディアに出て活動するのは、ごく一部。多くのゲイは、冷めた目で見ている」と、釘を刺されます。

>そういう人たちは、同性パートナーシップ証明も、レインボーパレードも、喜んでいない、と。差別的だと批判を浴びたフジテレビの「保毛尾田保毛男」騒動さえ、「注目を集めること自体が、迷惑」。

 

私もLGBTのパレードに関しても、批判的な目で見ていました。

正直そのパレードの近くにいるノンケの方々も奇異の目で見てる人もいるでしょうし、放っておいてくれよ…と。

「保毛尾田保毛男」騒動も、ポリティカルコレクトネス?でしたっけ。うるさいなあヤイヤイ騒ぐな。って思ってました。

 

実際そのような理解促進の活動を続ける人がいることで同性パートナーシップ制度、何れは同性婚の制度が出来上がればいいな、(私はしないけど。)というような非常に人任せな考えです。(笑)

ほんとひで

 

>「当事者のなかで、『じゃあ闘ってやろう』という人は、少ないと思いますよ。僕は周囲には比較的オープンにしている方ですけど、穏やかな差別をしてくる人はずっといるし」
>穏やかな差別とは、たとえば、仲良くもないのにセックスのことをあれこれ聞かれたり、男性から「俺のことを好きになるなよ」と言われたりすること。どちらも、異性を愛する人には、うかつに言わない言葉です。言うと相手に怒られます。なのに、同性愛者には、言ってしまう。
>「そういう偏見って、小さな自己否定を重ねられているのと同じなので。積み重なっていくと、そこに屈してしまうじゃないけど、もうあきらめてしまう」

 

転職を控えて、同僚上司が仕事を振らなくなり暇になった時にこの記事を見つけたのですが、思わず小声で(あ~~~~~~~~~~)ってなりました。言われていて適当に流していたせいか気づきもしなかった。

サボっててほんとすみません。(笑)

大学内ではカミングアウトしまくってるオープンホモなんですが(職場では言ってません。)、そういうチクっときた発言を穏やかな差別っていうんですね~なるほど~~。となりました。

 

  • 言葉の限界


>「うーん……。全部を理解してもらうのって、無理なんだなって。育ってきた環境が違いすぎて、もうどこまでいっても、言葉で理解してもらうのは限界があるなあって思っちゃって」

 

Aさんの友人が泊まりに行ったらセックスはなしね。と釘刺されたエピソード。そんな気もないのに。という感じのエピソードからの上記のセリフ。

私も時々Twitterでオフ会なんぞしていた時代とかもあったんですが、男の方に「襲うなよ」みたいなこと言われたこともあったんですが、私も煽り耐性が低いもので、「じゃあ君は女性と会った時にどストライクの人間をいきなり襲ってレイプするのか?しないだろうホモは同性がたまたま好きなだけで、根幹は何ら変わりなく人間だぞ」とマジレスしちゃったことがあります。記憶はあやふやなので大体こんな旨を伝えた感じですね。申し訳ないなあと思っています。だって各々、それの理解には限界があるんですから。

 

>「とはいえ、僕も揺れてはいるんです。わかってほしいという気持ちと、あきらめている気持ちと」

 

いやAさんと付き合いたいぐらいの共感ポイント発動ですよ(笑)

あ~~~~~~~~~~~しか言えなかったです。

 

>「僕のアイデンティティのすべてを『ゲイであること』が覆ってしまうのは嫌です。自分を構成する要素はもっとたくさんあるのに」

>神奈川県出身とか、文章を書くのが好きとか、「Aさん」という人は、いろんな要素でできています。でも、声をあげ、活動をはじめたとたん、周囲は「ゲイのAさん」としか扱わなくなるでしょう。

>「フラットな存在でありたいんです。そう思いすぎることがまた、とらわれているということなのかもしれませんが」

 

うんうんうんうん。(共感しかできない)

確かにTwitterとかでもホモのしゃむみたいなアイデンティティをホモのバイアスでかけてみている人いますいます。わかりますわ~って思いましたし、私はそれだけで構成されている人間ではないからもっとフラットに見てほしいと思ってしまうのもわかります。

 

「…(中略)ちょっと違うかもしれませんが、セクハラでも『どうせ言っても無理』とあきらめている女性っていますよね。言っても無駄だし、余計面倒なことになってしまうから、結局黙っているのが一番良い、という。損得勘定ですよね」

 

会社でもわざわざオープンにしなくてもいいかな、っていうのはここに起因してるなと思った一つのファクターです。

理解しろとは言わんけど言ったら言ったで説明するの怠いし言う必要ないか~。となっているのです。ただ、仕草が女性的なので、ネタでそっちの趣味なん?って聞かれることもしばしば。

以前見かけた人の言葉をここで使わせてもらおう。

私からしたら趣味じゃなくて本業だよ!!!!!!

 

  • 絶望の正体

>Aさんは、最近話題になったテレビドラマの話もしてくれました。

>「結婚」をめぐり、悩んだりぶつかったりするゲイのカップルが、出てきます。

>過剰にデフォルメした「おネエ」ではなく、ごく普通の青年として描かれています。

 

隣の芝生は青く見える、(となしば)ですかね?見たことないけど

見てみたい機運の高まりは感じております。

 

>「でも、当事者の思いをすくいとっているようで、ちょっと違うというか。僕らは抱えている闇が深すぎて。同性婚とか表面的なものでは解決しなくて……。例えば同性婚が認められたとして、『男女の結婚』と『同性婚』は別物なんだろうな、と思うんです。『カニ』と『カニかま』みたいな。LGBT団体は『カニかまでも進歩。もらいたい』と言うだろうけど、僕は『カニかまじゃん! 結局普通じゃないじゃん!』と思っちゃう」

>当事者の間でも、いろんな意見があります。

>私はたくさんのゲイの人たちに会ってきましたが、それぞれ意見が違います。
>マジョリティは「めんどうくさいなあ」と言うかもしれませんが、もともと「男性のことが好きな男性」が共通点というだけで、性格も生活環境も、すべてバラバラな人たちです。

 

この上記のセリフは考えが違っていました。

私は同性婚が合法化することで不貞に対する罰則がつくことで、ゲイの世界の性の乱れた実情がどうにかなって平穏になるのでは、と期待を抱いていたのですが、浅慮だと気づかされた一瞬です。(書いてて如何に具体性がないのか気づきました。)

 

子供を作ることもできないから婚姻制度が作られただけで、男女の結婚を単純に模倣しただけだから結局普通じゃない。上記の暗喩を使うなら私はカニかまでも貰おうとしている立場であることに気づきました。後は、カニとカニかまっていう違いがあるということもこの時改めて気づかされました。

 

以下のト書きにもありますが、当事者間に様々な意見がありますし、ノンケの皆様はめんどくさいなあ。って思うんですが、ノンケの人たちだってある一つのテーマについて話し合うときに意見が十人十色になるでしょうから、それと似たようなことだと思います。

私が上記でTwitterで人に言った「ただ同性が好きなだけ、それ以外は人間」に通じるところがあると思います。

 

>「僕はまだ、これくらいで止まっていますけど、絶望が進化した人は、ゲイを嫌いはじめるんですよ。自分がゲイであることを棚に上げて、2丁目に出入りする人とかを、まるで自分が一般人であるようなスタンスで『嫌いだ』と。本当は同性愛者だから、ゲイコミュニティに行きたいのに、心をつぶされすぎて、ゲイに冷たい視線を送る。そういうアンビバレントなものを抱えるゲイに何人も会ったことがあります」

 

はい、出ました。私の辞書に最近記載されました、アンビバレントです。

このセリフ見たときに、「僕じゃん…」ってなってました。

2丁目や発展場にバリバリ行きこなしているゲイの人とはなんとなくソリが合わないな、と感じていました。むしろ苦手なレベルでした。私と世界が違いすぎて、話が合わないのです。そして気づきます。

 

私のソウルジェムはとっくの昔にグリーフシードになっていたみたいです。

(※魔法少女まどか☆マギカ見てね!)

 

ここでいうアンビバレントって

・自身が同性愛者だからゲイコミュニティに行きたい。

・心を潰されすぎて、ゲイを嫌悪し出す。

この2つが相反しているという表現ですね。

 

私の性質を端的に現わしているアンビバレントなゲイという言葉をタイトルに使ったというわけです。(アンビバレントは形容詞だから名詞にしたよ!)

 

>「もしかしたら、『あきらめている』と言いながら、何周も何周も何周もまわって、深層では、『男女』『普通』にあこがれて、渇望しているのかもしれません。でも絶対にひっくり返せない。そこに絶望している」

>抱える絶望は、ふたつ。

 

>分かってもらえない世間に。
>「普通」に生まれなかった自分に。

>「うん、それはもう、一生、死ぬまで続くと思います」

 

この最後の文章で胸を打たれました。もうなんて表現したらいいのかわからないです。

当時読んだ時、泣きそうになって、離席してタバコ吸いに行って…メンタルリセットしないといけないレベルの衝撃でした。

 

普通という枠にハマって生きようとするのってエネルギーのいる作業なんですよね。

私は通称ホモフラージュと名付けてますが(笑)

死ぬまでこの絶望は付き纏うのかな、と思うと

「一発転生ガチャやっちゃうか!」という感じで勢いで命を絶ちかねません。

 

 

抱える絶望は、ふたつ。

分かってもらえない世間に。

「普通」に生まれなかった自分に。

 

重たい…重たすぎるよ…

ただ私のゲイに対する考え方がモヤモヤと渦巻いていたので、このAさんが上手く文章化して頂いたことで少し整理がつけられたかな、と思ってます。

 

私も、現時点では「ゲイでよかったなあ!」と思ったことはないですし、なれるなら普通で生まれたかった。と思っています。

別に結婚したい、子供が欲しいとは思っていませんが。(理由があるのでそれはいずれ別の記事で。)

 

というわけで、

長文になりすぎてしまったので、ブツ切りになりますがブログタイトルの由来についても語れたのでまた次回。

 

ありがとうございました。